---MEMORY GAP----
Suh Yoon Hee は韓国で活動している作家。
海外では始めての展覧会です。
彼女の作品には、水辺の風景や砂漠の様子などが描かれ、いずれも閑散とした静寂さが伝わってきます。
どの作品も大地の様子が丁寧に細かく描かれ、その美しさと緊張感を伝えています。
そして、遠く空の上から大地を観察している視点で、人間が小さく描かれ、静寂な大地に存在する人間の生命力のようなものが静かに伝わってきます。
韓国ソウルの梨花女子大学大学院を修了し、ソウルなどで個展やグループ展を行っている。
キム・ジョンヨン(独立キュレーター)
冷たい風が吹く。過ぎ去った夏はどんなに暑く、また長く感じただろうか韓半島が亜熱帯性気候に変わっている証拠だと言う。来年からは梅雨という言葉が消え、代わりに‘雨期’という用語を使うことにしたという。世の中が変わっただけでなく、天気も変わった。この地で育ち、40年に少し満たない人の立場では、本当に適応が難しい。その時になれば雨が降り、その時になれば落ち葉が落ちた過ぎ去った日の記憶はまだ鮮やかであるのに。
冷たい風が吹いてから、お茶の考えがよく浮かぶ。温かいお茶やコーヒーが特に懐かしい近頃、ソ・ユンフィの作業部屋が思い浮かぶ。1年中、お茶の香りが漂っているその小さな空間で作家はお茶をいれるための水をずっと沸かしているだろう。床にビニールを敷き、伝統韓紙やキャンバスをその上に置き様々な濃度でいれたお茶と墨汁を少しずつその上に注ぐ。ここには少し多めに、そっちには少し少なく、模様がよく滲むように手でお茶を広げてみたり、松の皮などをのせて模様を作ったりする。ふんわり漂うお茶の香りの中で、水が乾くのを待ち、もう1度お茶を注いで乾かすことを繰り返す。最近ではお茶やコーヒー、墨のような材料を越え伝統染料として使われる多様な薬剤を使い紙に色をだす。三合紙(三枚重ねた紙)を蒸し器に入れ、蒸すこと数回。紙はもう紙のようではなく、古い皮のように強くて重い。横では様々ないい香りがするが、じっと見守ることは本当に退屈である。作業部屋の外では実験的な現代美術という名目の元、ありとあらゆる種類の作品が溢れるがここで完成した‘絵’に出会おうと思ったら多くの時間と忍耐力が必要である。
ソ・ユンフィの作品でよく話題になる部分は、空いている空間だ。伝統水墨画の脈を引き継ぎ、空いているが実際には空いていない余白の空間。見る者の想像力が透視される最も重要な空間である。しかしソ・ユンフィの作品で空いている空間を単純に‘空いている’と断定することができない理由は、イメージ介入前のこの空間こそ、ソ・ユンフィの作業の核心であり起源であるからして空いているというよりは、既に満たされた画面だからである。紙が水気を含みその水気が空気中に蒸発する自然の循環過程と、それを意図的にコントロールしようとする作家とのぶつかり合いの中でソ・ユンフィはある程度、色と模様をコントロールする方法を探して来たし、よってこの空間は作家の緻密な構成と統制が介入した一つの抽象的な空間で完成されたものだ。多少の偶然が加わっていることを否定することはできないが、模様の一つ一つは抽象的空間の中で意味をもち構成の一部分としての役割を始める。
この抽象的空間はまさにソ・ユンフィの作業に共通する‘記憶の間隔’を表す。お茶をいれ、紙を染める長い長い反復過程の中で果てしなく話してきた過去の数多くの話が、きちんと積まれているためこの空間は決して空いているわけではない。あまりにも話したいことが多く、言葉でも文でも、絵でも表現できないためずっと積み重ねてきたこの重い空間の中には過ぎ去った時間がそのまま凝縮されているのだ。古くて破れてしまいそうだが、更に強くなった紙質感はいつになくどっしりとした記憶の重さをつめ込むには十分に見える。
記憶の空間が完成されてからは、記憶の欠片たちが画面に登場し始める。爪よりも小さな多くの人々の姿は、作家の記憶の中で破片的に浮び上がるイメージの欠片として、作家はばらばらになったパズルを組み合わせるように一つ一つ画面に置いていく。作業部屋の一方の壁をいっぱいにする旅行写真の中から飛び出した数多くの人々は、あちこちに配置されるが彼らの間にはどんな共通も見えない。そしてそこに作家はいない。作家である‘私’は記憶の主体であり、画面の中の世界を創造する中心にも関わらずその中にいることができずに遠くから彼らを見つめる。個人的であるにも関わらず自分は一歩下がって存在する消極的な記憶である。そのためソ・ユンフィの作業は近くで見ても遠くから見ているようである。事細かな描写にも関わらず、作品の中に登場する人々が背を向けていたり、下をむいて各自の仕事に沒頭する姿、更には表情までも隠した彼らの姿は決して偶然というわけではないようである。
このようなソ・ユンフィの近作で初めて作家の姿が堂々と登場した。幼い娘の手を握り、暗闇の中に向かって歩いて行く彼女の後ろ姿からその暗闇が終われば星の輝く夜空が登場することを想像させる。暗闇の中をかきわけて出て行けば、黒い雲が過ぎ去れば、明るい星が現われるその空間は空いている空間ではなく、笑いと涙と懐かしさが幾重にも重なり合って積まれた胸の中の風景である。作家はついに自分の話をする準備ができたようである。かすかに見えるような小さかった多くの話を後にして、やっと自信をもち自らを表現したソ・ユンフィの作業の今後の歩みが更に気になるところである。
作業部屋を去ったソ・ユンフィの作品からは、これ以上お茶の香りはしない。お茶と薬剤の濃い香りをいっぱいに含んだあの絵は、今後暖かくておぼろげな記憶を抱き新しい生を生きるだろう。世の中が変わり、天気が変わって時々適応していくことが大変だとしても、変わらないものがあることを知っている。私が生きてきた時間とその中の数多くの記憶、それをソ・ユンフィの作品から探そうと思う。




