仲瀬輝明
2008年11月にぎゃらりーかのこで個展を行った仲瀬輝明さんの東京アートフェアに出品された作品たちです。
屏風のような金箔と、少し不気味でどこかかわいい子どもや動物、おもちゃたちの組み合わせが見るものを惹きつけます。
旧世界のなかでもがく「キモ・カワイイ」新生命体
仲瀬輝明の作品にはビミョーにカワイイ新生物が蠢いている。すこし不気味で、気持ち悪く、しかし「カワイイ」の範疇にはいっていなくもない。「キモ・カワイイ」といっていいのだろうか。この感じはどこから来るのだろうか。
仲瀬の新生物たちは、どれもすっきりとはカワイくはない。鎧を身につけ眉間に皺を寄せた子供も、福助もどきも、動物たちも、目のついた歯も、「キモ・カワイイ」としか言いようがない。使っているメディウムもアクリルなどではなく、油彩、金箔、銀箔という「古い」メディウムをあえて選んでいて、それらもまた今流の「カワイイ」に抵抗しているようにすら見える。
東浩紀は『ゲーム的リアリズムの誕生』のなかで、19世紀の自然主義作家が現実社会を描くようになったのは、現実社会の方がリアルだったからではなく、単にコミュニケーション効率がよかったからにすぎないとし、現代にキャラクター小説が登場してきたのは、コミュニケーションの条件が変化したからだと述べている。「スーパーフラット」や「カワイイ」が現代美術においてコミュニケーシニョン効率の高いイメージ、つまり、世界中の人(若者?)にわかりやすい絵だとすれば、仲瀬の作品はそこに寄り沿おうとしながら同時に抵抗しているように見える。あえて、不可思議な生き物を描き出し、世界中の人がすんなりとは馴染みにくそうな、「日本美術」を背負った感じのメディウムを使う。
仲瀬作品の「キモ・カワイイ」感じは、この抵抗のなかから紡ぎ出されているような気がしてならない。「オタク」や「カワイイ」がメジャーになってきた現代において、そこにある種の抵抗感を感じている人も少なくはない。もし、仲瀬の作品がこの抵抗感を表現しているとすれば、それはこのような形で発展していくべきものなのだろうか、あるいは、まだ何か大きな変貌を必要とするのだろうか。
(夏目炎、美術評論家)
1976 鳥取県生れ
1997 安宅賞
2000 東京芸術大学美術部油画卒業
2001 新生堂展
2002 東京藝術大学大学院美術研究所油画専攻修了
2002 青木繁大賞展優秀賞
2002 日本アートアカデミー賞展
2003 新作作家展優秀賞
2007 TCAF2007出品
2008 NYアートエキスポ出品
旧世界のなかでもがく「キモ・カワイイ」新生命体
仲瀬輝明の作品にはビミョーにカワイイ新生物が蠢いている。すこし不気味で、気持ち悪く、しかし「カワイイ」の範疇にはいっていなくもない。「キモ・カワイイ」といっていいのだろうか。この感じはどこから来るのだろうか。
仲瀬の新生物たちは、どれもすっきりとはカワイくはない。鎧を身につけ眉間に皺を寄せた子供も、福助もどきも、動物たちも、目のついた歯も、「キモ・カワイイ」としか言いようがない。使っているメディウムもアクリルなどではなく、油彩、金箔、銀箔という「古い」メディウムをあえて選んでいて、それらもまた今流の「カワイイ」に抵抗しているようにすら見える。
東浩紀は『ゲーム的リアリズムの誕生』のなかで、19世紀の自然主義作家が現実社会を描くようになったのは、現実社会の方がリアルだったからではなく、単にコミュニケーション効率がよかったからにすぎないとし、現代にキャラクター小説が登場してきたのは、コミュニケーションの条件が変化したからだと述べている。「スーパーフラット」や「カワイイ」が現代美術においてコミュニケーシニョン効率の高いイメージ、つまり、世界中の人(若者?)にわかりやすい絵だとすれば、仲瀬の作品はそこに寄り沿おうとしながら同時に抵抗しているように見える。あえて、不可思議な生き物を描き出し、世界中の人がすんなりとは馴染みにくそうな、「日本美術」を背負った感じのメディウムを使う。
仲瀬作品の「キモ・カワイイ」感じは、この抵抗のなかから紡ぎ出されているような気がしてならない。「オタク」や「カワイイ」がメジャーになってきた現代において、そこにある種の抵抗感を感じている人も少なくはない。もし、仲瀬の作品がこの抵抗感を表現しているとすれば、それはこのような形で発展していくべきものなのだろうか、あるいは、まだ何か大きな変貌を必要とするのだろうか。
(夏目炎、美術評論家)