今回のテーマを構築物といたしましたが、構築したのは「物・モノ」だけではなく、画廊という展示のシステムや作家の成長、高覧者の獲得、人と人との繋がりであったように思います。
「ギャラリー」の機能は、「作品の販売」を目的にしており、それは世界的に共通のことです。しかしそれは、NYやパリ、ロンドンといった世界の裕福層をターゲットに仕事をするギャラリーと、大阪や京都といったローカルな場所に根を張って、若い作家の発掘から彼らの成長を助ける画廊とは大きく異なります。
ローカルなギャラリーほど、第一次生産地で、八百屋でいえば、これが野菜か果物か分からない作品が並びます。トマトが野菜か果物かという議論と同じように。このとき、重要な要素となるのが、高覧者の方の選別であるのだと思います。NYやパリの画廊のお客は、お金を持ってギャラリーに買いにくるのですが、作家を応援しているわけではなく、お金を使う自分が主人公です。しかし、大阪や京都を周回しているローカルなお客さんは、作家やギャラリーを応援してくれています。
画廊のある場所でもし喫茶店などやっていたら、ご近所のおじさんやおばさん、ときどきミナミに出てくる方との談笑があったでしょうが、こんなに大きな活動のエリアをもたなかったと思います。今や私の仕事のエリアは、東京と越え、NYやパリまで及びつつあります。それは、美術がもつ「普遍的な相互理解」のお陰だと思います。人間は常に新しいモノに出会いたいと思いますし、それによって感動したいと思います。また、それを所有したいと願います。それは、「自分の枠組み」を越えたいという人間が持つ欲求だと思います。その枠組みをを越えたい、という人間の欲求は生き生きとしており、強い生命力を感じます。
デジタル社会となり、紙媒体が減少の方向が予感されます。それとは反対に、アートはアナログ産業で、商品となる作品も個別的で、POPで管理されることはなく、世界で一つしかない作品(商品)をギャラリスト、オークション会社、美術館は求めてり、そこにロマンスを感じています。デジタル化が進めば進むほど、超アナルグ的である、アナログを護っているアート作品は、貴重な存在となり、人間の気持ちを癒してくれる「モノ」になっていくと思います。それは、幼稚園児の我が子がクレヨンで描いた絵と同じような愛着を感じさせてくれます。
Gallery AMI&KANOKOが10年間に紡いだものは、「モノ」と共に「時間」であったのだと思います。
最近「醸す」(カモス)という言葉に惹かれます。醸造、醗酵と時間を掛けて違う味のものを出す神秘と息の長い仕事に憧れを感じます。
皆様の暖かい応援の数々、本当にありがとうございます。
Gallery AMI&KANOKO
中島由記子