仲瀬 輝明
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意識と体が結びつかず、距離がうまれ、そこに操作する意識と操作される体が生まれる。
その危うさの中で体と意識のバランスを保つために私は表現しているのだろう。
結局、人は自分の意思で動いているのか、動かされているのか。
自分が認識できうる範囲の意識だけでなく無意識も含むとすれば、意識はどこまでが自分の意識なのだろう。
大海が無意識であれば、無意識の海に浮かぶ小島が意識なのか。
無意識はどこまで自分を操作しているのか。
そんなことを考えつつ境界にある時空に魅せられる。
私にとって、例えば箱・器は内と外、子供・老人は生と死の境界線上にある。
それらは私の意識と無意識が交差する時間、表現の現場に現れる。
箱庭をつくるように 人物、動物、異形の物を配置し形成される
キャンヴァス上の世界。
私はその中に形成されつつある世界の一つ一つに責任を持つ。
登場人物と会話をし、あるべき姿を捜し、描いていく。
個人の意思は脆弱で、無意識に支配される世界を徘徊する。
暗闇を徘徊し、支配された私はわずかな光をみつける。
そして私がつくる箱庭は私の手を離れ閉じ込められた、ひとつの世界となる。