堀尾貞治
日々のことで
(手と足)
定年退職後、いろいろと八年ほど経って自分のしていることを反省すると、
基本的には会社に行っているときとそんなに変化はない、というと矛盾してきますが、
実働というか会社での勤務時間というのはあったのですが、それは今の自由時間と比べると大変な差がありますが、そのことも含めて大差はない。
それというのは、精神的なあり方で時間のあり方が変化しているように思います。
日々色塗りというような僕の食事するような仕事と一分打法という絵を描くという行為を省くとあとはそんなに考えていないように思うところがあります。
僕の生活の中で絵を描くという好きなことがずっとあるということが、
僕の日々のあり方を支えてきたと思います。
そして、それに関連する多く展覧会も自然に誕生するというか、発生してきたと今考えます。
そのことがどこから出てきているかというと手と足を動かすということではないかと考えます。
もちろん、何かをするという時、頭で考えてやっているのですが、それを具体的に形にするのは手と足なんだと思います。
よく夢中(無中)になるといいますが、そいうときは手と足を考えることなく動かしていると、あまり自分のことが自然に気にかからなくなってきて、その今やっている面白いことだけになってくる。
そうすると、喜べる何かストレートに心がそこへ動く誠意のようなものが勝手にみえてきて、又そういうものが出来ると、第三者を抱き込んでくる言葉とか説明とかを離れてしまう。今二十三年余毎日色を塗っていますが、それなど単純に朝一色を物に塗りつけるという手の行為だけですが、
二十三年も続けていると、手と足、つまり身体が勝手にそれをしているだけで、
いいものをつくろうとかよく見える様にという頭の操作は全く消えております。(つづく)
堀尾貞治
(二○○七年十一月二十六日)