関 淳一
植物を主な対象とし、描くことに集中して制作を続けています。
描く対象、鉛筆や紙、絵の具やキャンバスなどの素材、そして自分という三者のその時々の関係の仕方から、描かれるものはさまざま表れてきます。
私にとって描くことの意志は、何かについての主義でも、何かを表現しなければならないという使命感でもなく、とにかく描きたいという衝動と自分の見たいと思っているものに出会いたいという欲求に支えられています。
略歴
- 1957
- 東京都生まれ
- 1984
- 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業
- 同大学美術研究科版画専攻修士課程修了
作品の紹介
作品の材料は、全部キャンバス(膠引きした麻布)に描いています。床の間の作品はは、墨と緑青。壁の商品は床の間側から1点目が墨、胡粉、焼き緑青コバルトブルー。真ん中が墨、胡粉、緑青。一番左が墨、緑青。入り口右の横構図のは墨、緑青、胡粉、和紙を貼り込んでいます。階段下の小さな作品は2点とも墨、胡粉。みんな顔料、岩絵の具を膠分で描いていますので、絵の具は日本画と同じです。
作品について(中島由記子)
今回の展覧会は、過去の関淳一の作品より優れていており、心惹かれるところが多い。まず、それは作品を鑑賞している私自身の成長が大きいと思う。画廊を始めて10年、ようやく関淳一の良さ、深さに到達出来る能力に達してきたのかもしれない。その次に、関淳一自身が変わってきたように思う。Gallery AMI&KANOKOで展覧会を始めた頃は、もっと人を近づけない荒々しい作品だった。
この時に作品をみたある高覧者が、「一見静かそうにみえますが、うるさい、よく話をしている作品ですね。」と、短刀直入に言った。美術作品というのは、鑑賞者の気持ちの置く場所、それを受けいる部分が無いと成立しない。その高覧者と作品との関係性が成立して初めて、長らくの鑑賞に堪え、時代を超えて作品が受け継がれていくように思う。
関淳一の作品は植物を捕らえている。それはデッサンのような外側の物の有り様を描いているのではなく、植物が植物であるが故に生来もっている、その勢いや生命力や、見えない内部のある姿などを関淳一のものの捉え方で浮き上がらせようとしている。故に我々が画面から観るものは、決して花でも植物でもない、「線」でしかない。しかし、その植物の生命をくっきりした線で描こうとしているため、その線は生きている。関淳一は、「描くことは何か」「物をみることは何か」「物の存在とは何か」を作品を描く間、ずっと考えている。ずっと考えてはいるが、きっと一度も答えが出たことがないのであろう。故に観る側は答えのない作品を見ているかのような、未完成のような作品の前に立つことになる。
さて、今回の作品は、材料が日本画と同じものが使われている。これは大変喜ばしいことである。西洋絵画の材料:油絵・アクリル画を多くの材料を駆使しようと多くの絵描きは夢見ている。しかし、所詮、明治の初めに渡来したもので、どうあがいても数百年の歴史をもつヨーロッパのその技術にかないっこない。また、それを鑑賞しているもののレベルが低いのです。理由は、油絵を鑑賞できる場所が少ないことです。明治の時代の人がヨーロッパ文化に強い憧れ感じてそれを吸収しようと思ったほど、今の日本人はヨーロッパ人に憧れを感じている訳ではない。私は、日本人が日本画の画材を使って表現することは、とても素直だと思うし、また観るほうも素直に楽しめるように思う。そして、そこに現代の美術の要素が入っていることが、一番適当ではないかと最近考えるようになった。とはいって、鑑賞者が関淳一の作品に入っていくことは、まだまだ難しい。
先日アメリカに言ったとき、アフリカ系アメリカ人のアーティストと会食した。場所は、現代のアフリカ系アメリカ人の作品をコレクションしているコレクターの自宅。西洋人や東洋人とは全く違うカルチャーの世界だった。大らかで大陸的で、粗野や原始的で、カラフルで、と全く日本人には表現できない美術の世界があった。この自然体の美術を面白いと私は感じた。小澤征爾がTVで語っていた。「まねることは早くある程度までは到達できるが、結局は伸びない。」と。
日本が世界第二位の経済大国と言われた時代も終わり、インドや中国にその地位を譲ることになった。フランスがドイツ、イギリス、イタリアなど、独自の文化とその経済との間に苦しんでいる。我々も、文化と経済との折り合いの時代に着たように思う。
カタログを制作いたしました。関淳一カタログ