前回のタイトル
「凛としているバレーボール部の照れ屋さん」
では、陶による立体作品でしたが、
今回は、木版画による作品展です。
今回正直たくさん泣きました みんなそうでした。
でもそれでもこうやって笑う事ができる そんな強さがヒトにはあるのかな?
善くも悪くも解決? 決着はヒトが着けねばならないのでしょう。だけど自然に助けてもらう、生かされてること 自覚できなければ またこの地上で生きることは出来ないと思います。元々その考えだったはずですこの地に生きるヒトびとは。
(及川みのる)
「海とワカメと魚とヒトと」
宮城県気仙沼市出身。茨城県かすみうら市在住(福島第一原発より南に150km) 及川みのる氏の両親の住まう気仙沼市の実家は高台にあるため、津波の災害からは逃れることができましたが、その地域は未だに水道が復旧しておらず、病気で高齢の父親が入ることが出来る高齢者のための療養所が見つからず、(地域の設備が破壊されているため)現在気仙沼の実家にて介護中。 作家のアトリエは東北の津波ほど大きく被害を受けなかったが、それでもアトリエの破損は著しく、まともに作れる状態ではなかった。また、故郷の甚大な破壊と福島原発の事故の両方が作家の気持ちを大きく揺るがし、「気持ちが折れるわけではない。」と書かれたMAILから、彼の折れそうな気持ちが汲み取れた。今回の展覧会の取りやめも一時は憂慮した。しかし、作家であることを続けた。 及川みのる氏は、陶芸で制作を続けて来た。自然災害を目の当たりにして、自然に向き合い制作したいという気持ちが生まれ、今回の展覧会は、木版画に手彩色という原始的な制作方法を選んだ。というより、彼には物理的にも心理的にもこれしか制作する手段がなかった。それは、福島第二原発の破壊やそれにともなう放射能汚染、放射能の拡散の問題など強い憤りを感じ、「電力」を使用して電気窯を焚くことに強い疑念を感じたからである。
最も残念なことは、自然と向き合いたいと願ったにもかかわらず、アトリエ近くの木々は原子力の汚染の心配があり、使うことが出来なかった。材料は、ホームセンターで買い揃えた。身近にある豊かな自然に手をつけることが出来ない現状が、及川の制作に及んでいる。今も続いている。これからも続くであろう。
彼は、木板の木目の中にワカメや魚を探し出し、それを浮き上がらせるかのように彫っている。迷いのない強い線である。彼の想像力は海の中を潜水している。
彼の記憶に残る気仙沼の「海とワカメと魚とヒト」は、復興という努力で美しい自然が必ずもどるでしょう。しかし、原発で汚された「海とワカメと魚とヒト」は、いつ元に戻るのでしょうか。本当に戻るのでしょうか。美しかった福島の村々の「海とワカメと魚とヒト」に私達はどうやって贖(あがな)ったらいいのでしょうか。
Gallery AMI&KANOKO
中島由記子
略歴
- 1972年
- 宮城県出身
- 2001年
- 東京芸術大学大学院美術学部陶芸科修了
<個展>
- 2002
- 『土人イズム』ペッパーズギャラリー 東京
- 2007
- 『土人玩具』サボアヴィーブル 東京
- 2008
- 『土鎮玩具』サボアヴィーブル 東京
- 2008
- 『ナチュラルブッダ』サボアヴィーブル 東京
- 2009
- 『バレー部の凛としている照れ屋さん』画廊編 大阪
- 2010
- 『埴安ひめ』サボアヴィーブル 東京
- 2010
- 『Minoru Oikawa Exhibition』ヲウチギャラリー NY ブルックリン
- 2010
- 『ちちホヤジ』 ノブズギャラリー 茨城県