生きることの枠のなかで
今回の作品は、私が携わっているこの社会と正に対する
「事実」または「真実」を表現したドローイング的な
作品です。
作品に現れた南瓜は、幼少期の成長過程で体験した記憶と
国際化した私たち社会の中で見られた「事実」です。
異民族との結婚、それにより派生された文化は、それを
眺める視線との関係が大きな意味を持ちます。
ここに随伴された歪曲、偏見、苦労は外部との疎通の
ための産物です。
そして、多民族、多文化の中で得られる私の思考は
雲に隠れた太陽が見られる、という期待感の象徴として
存在します。
私は、黙々と修道僧のように磨き、引き、塗り、剥がしを
繰り返しながら、理解と容赦、憎しみを、愛で、尊重し、
注視し、祈って、共にする、そういった真実というものを
求めたいのです。